1960年代は、日本経済の急速な成長と社会の変動が背景にあり、映画産業にも顕著な影響を与えました。テレビの普及による映画館の入場者数の減少に直面し、映画業界は観客を惹きつける新たな魅力を追求しました。この時代は、カラー作品やシネマスコープ技術の進展が見られ、映画の表現力の拡大に寄与しました。また、1960年代には全共闘運動として知られる学生運動が盛り上がり、社会的な変革や若者の不安を映画が反映するようになりました。これにより、従来の枠を超えた新しい映画スタイルやテーマが生まれ、1960年代の日本映画界に活力をもたらしました。
テレビの普及
1953年に日本放送協会(NHK)がテレビ放送を開始したことを皮切りに、民間放送局も次々と設立されました。1964年の東京オリンピック時には、日本の一般家庭におけるテレビの普及率が87.8%(参照:内閣府「消費動向調査」)に達しました。テレビの普及により、多くの視聴者の関心が映画からテレビへと移行しました。
1958年、映画館の年間観客数は11億2700万人(国民一人当たりの平均観覧回数は12.3回)をピークに、翌1959年には10億8800万人へと減少し、以降、減少傾向が続きました。テレビの影響は映画館への来場者数の減少に大きく寄与しましたが、この変化は映画業界に新たな映画ジャンルや表現方法を模索させるきっかけともなりました。
カラー作品とシネマスコープ
1960年代の日本映画界は、カラー作品とシネマスコープの導入によって、映画の表現力が飛躍的に向上した時代でした。これらの技術革新は、テレビの普及による影響と競合する中で映画業界が取り入れたものであり、観客に新たな魅力を提供しました。1950年代まで日本映画は主にモノクロで制作されていましたが、1960年代に入るとカラー作品が増加し、やがて主流となりました。カラー映画の導入により、映像はよりリアルで鮮やかな色彩を持ち、観客に美しい映像体験を提供することが可能になりました。
シネマスコープ技術によって、映画のスクリーンサイズは拡大され、より広がりと奥行きのある映像が提供されるようになりました。この技術は、壮大な風景やアクションシーンを大画面で映し出し、映画の迫力を最大限に引き出すことができました。これにより、映画はテレビとは一線を画す独自の魅力を持つエンターテイメントとして観客に認識されるようになりました。さらに、これらの技術革新は映画監督に新たな表現の幅を提供しました。監督たちは、カラー映画やシネマスコープを活用して、独自の映像美を追求し、作品に深みを与えることが可能となりました。
独立プロダクションの台頭
1960年代、大衆娯楽の主流が映画からテレビへと移行する中で、大手映画スタジオの影響力が徐々に低下し、独立プロダクションが台頭してきました。この時期、独立プロダクションは製作の自由度が高く、従来の枠組みにとらわれない個性的で実験的な作品を生み出す場となり、日本映画界に新たな動きをもたらしました。
独立プロダクションの登場は、映画制作における多様性と創造性の向上を促しました。大手スタジオの商業的制約や既存のジャンルに依存しない作品が増え、新しい監督や才能が日本映画界に登場する機会を提供しました。これらの独立プロダクションからは、後に国内外で高い評価を受ける作品や監督が多数輩出され、日本映画の新しい地平を開いたと言えます。
ATG(アートシアターギルド)
1961年に創設された日本アートシアターギルド(ATG)は、1960年代から1980年代にかけて、非商業主義的な芸術映画の製作と配給に特化し、日本映画界に顕著な影響を与えました。会員制を採用しており、年会費を支払うことで、他では観られない映画を手頃な価格で鑑賞できる仕組みが、特に若者層から強い支持を得ました。
ATGの活動は初期には、アメリカやヨーロッパの芸術映画の配給に焦点を当てていましたが、やがて「1000万円映画」と称される低予算で実験的な映画製作にシフトしました。この方針の変更は、三島由紀夫の『憂国』(1966)や今村昌平の『人間蒸発』(1967)のようなプロジェクトが話題を呼んだことなどが契機となりました。特に『人間蒸発』は、独立プロダクションとの費用折半による低予算での製作が実施され、その配給権は日活に譲渡されましたが、この成功を機にATGは映画製作への積極的な取り組みを強化しました。
その他の主要の独立プロダクション
近代映画協会: 脚本家・映画監督の新藤兼人、映画監督・吉村公三郎などで1950年に設立。
黒澤プロダクション: 映画監督・黒澤明が 1959年に設立。
創造社: 映画監督・大島渚、大島渚の妻で女優の小山明子、脚本家・田村孟、佐々木守、森川英太郎、俳優・渡辺文雄、戸浦六宏らで1961年に設立。
三船プロダクション: 俳優・三船敏郎が1962年に設立。
勅使河原プロダクション: 映画監督・勅使河原宏が1962年に設立。
石原プロダクション: 俳優・石原裕次郎が1963年に設立。
若松プロダクション: 映画監督・若松孝二が1965年に設立。
今村プロダクション: 映画監督・今村昌平が1966年に設立。
勝プロダクション: 俳優・勝新太郎が1967年に設立。
1960年代の日本映画 25選
1960
監督:大島渚 製作:松竹大船撮影所
1961
監督:今村昌平 製作:日活
監督:黒澤明 製作:東宝/黒澤プロダクション
1962
監督:三隈研次 製作:大映京都撮影所
監督:吉田喜重 製作:松竹大船撮影所
監督:小林正樹 製作:松竹京都撮影所
監督:川島雄三 製作:大映東京撮影所
1963
監督:黒澤明 製作: 東宝/黒澤プロダクション
監督:今村昌平 製作:日活
監督:工藤栄一 製作:東映京都撮影所
1964
監督:勅使河原宏 製作:勅使河原プロダクション
監督:中平康 製作:日活
1965
監督:内田吐夢 製作:東映東京撮影所
監督:市川崑 製作:東京オリンピック映画協会
監督:若松孝二 製作:若松プロダクション
監督:岡本喜八 製作:東宝/三船プロダクション
1966
監督:本多猪四郎 製作:東宝
監督:増村保造 製作:大映東京撮影所
1967
監督:大島渚 製作:創造社
監督:鈴木清順 製作:日活
監督:岡本喜八 製作:東宝
1968
監督:熊井啓 製作:三船プロ/石原プロ
監督:今村昌平 製作:今村プロダクション
1969
監督:篠田正浩 製作:表現社/ATG
監督:山田洋次 製作:松竹大船撮影所