1990年代の日本映画

 

バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、オウム真理教によるサリン事件といった出来事が相次ぎ、社会全体に陰鬱な雰囲気が漂う中、これらの社会的背景は、日本映画にも影響を及ぼしました。同時にこの時代は、年間の日本映画製作本数と国内映画館数が1990年代半ばから増加傾向にもありました。これは、低予算のインディーズ映画の増加とシネマコンプレックスの普及によるもので、シネコンは観客に多様な選択肢を提供し、映画の鑑賞環境を変化させました。1990年代、多様なジャンルの映画が製作され、ニューウェーブ作家たちの登場、Vシネマ、特撮映画の復活、ホラージャンルの発展などが見られました。

 

★1990年代の日本映画 20選

 

ニューウェーブ

 

1980年代末にスタジオシステムが衰退したことで、多様な方法や場所から映画監督としてデビューする新しい才能が登場しました。これらの新世代の監督たちは、伝統的な映画制作の枠組みに縛られず、独自の方法で作品を生み出しました。彼らの作品は、新たな視点や感覚を持ち込むことで、日本映画業界に新たな可能性を示唆しました。このニューウェーブの動きは、映画界に活力をもたらし、その後の日本映画の方向性を形成する基盤となりました。

 

奥山和由とシネマジャパネクス

 

松竹でプロデューサーとして活動していた奥山和由は、お笑い芸人として活躍していた北野武の監督デビュー作『その男、凶暴につき』(1989年)を手掛けます。1990年代に入ると『3-4X10月』(1990年)、『ソナチネ』(1993年)など、北野作品のプロデュースを務めました。

1997年、奥山は「シネマジャパネクス」というプロジェクトを立ち上げ、日本映画の新たな製作・興行体制の構築を目指しました。このプロジェクトは、石井隆の『GONIN』(1995年)、今村昌平の『うなぎ』(1997年)、黒沢清の『CURE』(1997年)など、注目すべき作品を製作しました。『うなぎ』は、第50回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞し、国際的に高い評価を受けました。

 

Vシネマ

 

「Vシネマ」は、1989年に東映ビデオによって劇場公開を前提としない映画のレーベルとして立ち上げられました。この時期、日本映画の劇場公開本数は減少傾向にありましたが、レンタルビデオ市場は急速に成長しており、この市場ニーズに応える形でVシネマが誕生しました。哀川翔主演の『ネオチンピラ 鉄砲玉ぴゅ〜』(1990)がヒットし、以降、極道物やギャンブルをテーマにした作品がVシネマの主流となりました。

創成期には、当時の邦画不況を背景に、劇場配給予算を制作費に充てることでクオリティの維持を図る試みが行われました。この戦略は成功し、Vシネマは新人監督や俳優の登竜門として機能しました。特に、黒沢清や三池崇史といった後に国際的評価を受ける監督たちも、Vシネマで才能を発揮しました。

Vシネマは、邦画不況に対する一つの解決策として登場したもので、結果として多くの才能を発掘し、日本映画史において重要な役割を果たすプラットフォームとなりました。

 

ぴあフィルムフェスティバル

 

「ぴあフィルムフェスティバル」(PFF)は、1977年の創設以来、東京を中心に若手の自主映画制作者たちの才能を発掘し育成するために毎年開催されています。PFFアワードと称される自主映画のコンペティション部門には、年間約500本の作品が応募されており、このコンペティションを通じて、現在映画界で活躍する多くの監督たちがその才能を世に知らしめました。

また、1984年に始まった「PFFスカラシップ」は、新進の映画制作者に実践的な映画製作経験を提供する奨学金制度であり、1993年には『二十才の微熱』(監督 橋口亮輔)や『裸足のピクニック』(監督 矢口史靖)といった注目すべき作品が製作されました。

 

テレビ業界

 

1990年代には、テレビ業界から映画界へと移行した監督たちが目立ち始めました。岩井俊二監督はその一例で、テレビ番組やミュージックビデオの演出からキャリアをスタートしました。彼の手掛けたテレビドラマ『if もしも~打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』は1993年に放送され、高い評価を受けました。このドラマは1994年に再編集され、劇場公開されています。

是枝裕和監督もこの時代に映画界に登場しました。彼はテレビマンユニオンでテレビ番組の助手からキャリアをスタートし、その後ドキュメンタリー番組を多数手掛けました。これらの経験を活かして、1995年に『幻の光』を監督し、この作品はヴェネチア国際映画祭で受賞し、国際的に高い評価を受けました。その後も2人は、映画監督としてさまざまな作品を世に送り出し、映画界での地位を確立しました。

 

特撮の復活(ゴジラ)(モスラ)(ガメラ)

 

1990年代は、特撮映画に再び光が当たった時代でした。東宝による『ゴジラ』シリーズ(1984∼1995)は、新たなストーリーラインを展開し、スクリーンでの存在感を示しました。続いて製作された『モスラ』シリーズ(1996∼1998)も多くの観客を魅了し、興行面で成功を収めました。

特に注目されたのは、大映による「平成ガメラシリーズ」(1995∼1999)です。VFX技術の導入とリアリティを重視したストーリーテリングが新旧の観客の心を掴み、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)は約90万人の観客を動員し、配給収入で5億2,000万円を記録しました。ビデオ化権や放映権の見込み収益で製作陣は黒字を実現しました。この成功により、ガメラシリーズは続編を重ね、怪獣映画としてキネマ旬報ベストテンに初選出されるなど、1990年代特撮映画復活の象徴となりました。

 

Jホラー

 

1990年代の日本のホラージャンルは、オリジナルビデオ(Vシネマ)の普及に伴い、作品製作が増加しました。この時代は、特に鶴田法男監督の『ほんとにあった怖い話』シリーズや『悪霊怪談/呪われた美女たち』(1995年)、『亡霊学級』(1996年)といったオリジナルビデオ作品が、後のJホラー作家たちに影響を与えるなど、ジャンルの発展に寄与しました。

劇場作品としては、中田秀夫監督と脚本家高橋洋による『女優霊』(1996年)や『リング』(1998年)が、大きな注目を集めました。『リング』は特に成功を収め、配給収入10億円を超える国内ヒットとなりました。2000年代に入ると、『呪怨』シリーズが登場し、Jホラーの人気はさらに高まりました。

 

1990年代の日本映画 20選

 

1990

3-4X10月

監督:北野武 製作:バンダイ/松竹富士/山田洋行ライトヴィジョン

櫻の園

監督:中原俊 製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ/サントリー

1991

ゴジラvsキングギドラ

監督:大森一樹 製作:東宝映画

1992

死んでもいい

監督:石井隆 製作:アルゴプロジェクト/サントリー

1993

お引越し

監督:相米慎二 製作:讀賣テレビ放送

ソナチネ

監督:北野武 製作:バンダイビュジュアル/松竹第一興行

裸足のピクニック

監督:矢口史靖 製作:ぴあ/ポニーキャニオン

1995

ガメラ 大怪獣空中決戦

監督:金子修介 製作:大映/日本テレビ放送網/博報堂

GONIN

監督:石井隆 製作:ぶんか社/イメージファクトリー・アイエム

幻の光

監督:是枝裕和 製作:テレビマンユニオン

渚のシンドバット

監督:橋口亮輔 製作:東宝/ぴあ

1996

女優霊

監督:中田秀夫 製作:WOWOW/バンダイビュジュアル

スワロウテイル

監督:岩井俊二 製作:烏龍舎/ポニーキャニオン/日本ヘラルド映画/エースピクチャーズ/フジテレビジョン

1997

CURE

監督:黒沢清 製作:大映

1998

ラブ&ポップ

監督:庵野秀明 製作:ラブ&ポップ製作機構

リング

監督:中田秀夫 製作:「リング」「らせん」製作委員会(角川書店、ポニーキャニオン、東宝、IMAGICA、アスミック、オメガ・プロジェクト)

蛇の道

監督:黒沢清 製作:大映

A

監督:森達也 製作:A製作委員会

1999

月光の囁き

監督:塩田明彦 製作:日活

DEAD OR ALIVE 犯罪者

監督:三池崇史 製作:大映/東映ビデオ