1930年代の日本映画

~トーキー映画の誕生~

 

1930年代の日本映画は、『マダムと女房』(1931年)の公開を皮切りに本格的なトーキー映画の製作が活発化しました。この技術革新は映画の表現力と魅力を格段に向上させ、多くの若手監督やスター俳優を輩出するとともに、活動弁士の役割を終わらせることにも繋がりました。この時代は、日本映画の最初の黄金期として称えられています。しかし、同時期に勃発した日中戦争は映画産業にも影響を及ぼし、戦争を支持する国策映画の製作が促されました。1939年には映画産業を国家が統制するための「映画法」が制定されました。

 

★1930年代 日本映画 20選

 

トーキー映画の誕生(1931年)

 

トーキー映画の製作は映画史の初期から試みられてきましたが、録音技術の未熟さや高額な製作費用のため、大きな進展は見られませんでした。しかし、1929年にアメリカで製作された高品質なトーキー映画『進軍』の公開をきっかけに、日本の映画界もトーキー映画への関心を深めました。この時期、松竹の劇場「松竹座」の楽士であった土橋武夫とその弟春夫は、外国のトーキー映画に触発され、自らトーキー撮影機の研究を始め、1931年には独自のトーキー撮影技術「土橋式トーキー」を完成させました。同年、この技術を用いて製作された『マダムと女房』が公開され、日本初の本格的なトーキー映画として評価されます。この作品の成功は、国内でのトーキー映画製作を促進するきっかけとなりました。

 

日本映画 最初の黄金時代

 

1930年代は日本映画の最初の黄金時代とされています。この時代はトーキー映画の発展と映画館の増加により、映画表現の多様性とクオリティが飛躍的に向上しました。新進の監督や俳優が登場し、映画界は大きな変革期を迎えます。

松竹は東京(蒲田)と神奈川(大船)の撮影所で、市井の人々の生活を描いたメロドラマなど現代劇を多数製作し、小津安二郎清水宏島津保次郎といった監督が名を馳せました。

一方、日活は京都で時代劇の製作に力を入れ、伊藤大輔山中貞雄稲垣浩らが活躍しました。東京では、内田吐夢が多くの秀作を生み出しました。

1937年には、PCL、J.Oスタジオ、写真科学研究所が統合し、東京宝塚劇場の傘下で「東宝」として新たに発足しました。東宝は後に日本映画業界において大きな影響力を持つようになります。

 

溝口健二の活躍

 

1923年(大正12年)に日活で『愛に甦へる日』で監督デビューを果たした溝口健二は、1930年代に入ってから日活、松竹、第一映画、新興キネマなど複数の映画会社で活躍しました。女性の生き方をテーマにした物語を中心に描き、ワンシーンをワンカットで撮影し、ロングショットを多用する撮影スタイルで、日本映画界における独自の存在感を確立しました。

 

活動弁士とトーキー映画

 

サイレント映画の時代、活動弁士は観客から絶大な支持を得ていました。しかし、トーキー映画の登場により、活動弁士の役割は徐々に不要とされるようになりました。活動弁士はトーキー映画に対してストライキを行い、反対運動を展開しましたが、映画のトーキー化の流れは止まることがなく、結果的に活動弁士という職業は減少していきました。

 

※活動弁士 須田貞明の自死

 

黒澤明の兄、須田貞明は、活動弁士としてのキャリアの中で、映画業界のトーキー化に伴う労働争議の中心人物として活動していました。しかし、1932年4月、彼は自ら生涯を閉じました。この悲劇には、職業の将来に対する不安だけでなく、個人的な困難も重なっていたとされます。

 

国策映画の増加

 

満州事変(1931年)と盧溝橋事件(1937年)を発端として中国との間で戦争が拡大する中、日本では映画が国家のプロパガンダ手段として積極的に利用されるようになり、その結果、多数の国策映画が製作されました。国策映画とは、政府や軍部の指導・支援の下に製作され、戦争や帝国主義を賛美する内容を特徴とする映画です。

1937年には、国際社会から孤立していたナチスドイツと日本が合作で『新しき土』を公開しました。この映画は、日本とドイツの友好関係を強調し、植民地主義的な考え方を肯定する目的で製作されました。

 

映画法の成立(1939)

 

日中戦争(1937年∼)の勃発後、日本政府は映画産業をより厳格に統制することを目指し、1939年4月5日に映画法を公布しました。この法律により、映画製作者は政府からの免許登録を受けることが映画製作の前提条件となり、脚本段階からの厳格な検閲が導入されました。さらに、外国映画の上映に対する規制も強化され、映画制作の自由度が大幅に制限されることとなりました。これにより、映画作家たちは自らの創造性を十分に発揮することが困難な状況に追い込まれました。

 

1930年代 日本映画 20選

 

1930

何が彼女をそうさせたか

監督:鈴木重吉 製作:帝国キネマ長瀬撮影所

 1931

瞼の母

監督:稲垣浩 製作:片岡千恵蔵プロダクション

マダムと女房

監督:五所平之助 製作:松竹蒲田撮影所

東京の合唱

監督:小津安二郎 製作:松竹蒲田撮影所

1932

大人の見る絵本 生れてはみたけれど

監督:小津安二郎 製作:松竹蒲田撮影所

1933

瀧の白糸

監督:溝口健二 製作:入江プロダクション

1934

隣の八重ちゃん

監督:島津保次郎 製作:松竹蒲田撮影所

1935

丹下左膳余話 百万両の壺

監督:山中貞雄 製作:日活京都撮影所

妻よ薔薇のやうに

監督:成瀬巳喜男 製作:P・C・L映画製作所

1936

有りがたうさん

監督:清水宏 製作:松竹大船撮影所

河内山宗俊

監督:山中貞雄 製作:日活太秦発声映画

赤西蠣太

監督:伊丹万作 製作:片岡千恵蔵プロダクション

祇園の姉妹

監督:溝口健二 製作:第一映画

1937

人情紙風船

監督:山中貞雄 製作:P.C.L.映画製作所

限りなき前進

監督:内田吐夢 製作:日活多摩川撮影所

風の中の子供

監督:清水宏 製作:松竹大船撮影所

1938

五人の斥候兵

監督:田坂具隆 製作:日活多摩川撮影所

按摩と女

監督:清水宏 製作:松竹大船撮影所

1939

監督:内田吐夢 製作:日活多摩川撮影所

残菊物語

監督:溝口健二 製作:松竹京都撮影所